この6日間でお芝居3本、映画(DVD)5本観て何が何やら分からなくなりそうなので軽く雑記を。
映画はこちらの5本
・クエンティンタランティーノ「レザボア・ドッグス」
・マークウェブ「500日のサマー」
・スティーブンスピルバーグ「マイノリティ・リポート」
・小野光洋「like ereryone in love」
・ラースフォントリアー「ダンサー・イン・ザ・ダーク」
(ダンサー・イン・ザ・ダークより主人公セルマを演じるビョーク)
小野さんの自主映画とあとは有名な映画を4本。
舞台は大小色々と観ました
・タンバリンステージ「恋するプライオリティシート」@吉祥寺シアター
・劇団NoN-SpoiL「みんなのへや」@文教大学越谷キャンパス
・範宙遊泳「うまれてないからまだしねない」@東京芸術劇場シアターイースト
うまれてないからまだしねないっていいタイトルですね。
うまれて
ないから
まだ
しねない
平仮名の並びも音もなんだか素敵です。
(※注 抽象的なワードが多くて書いてる自分でも読み辛い文章ですすみません)
範宙遊泳さんは結構昔からちょくちょく観てて、ちょっと思い出すだけでも「美少女Hの人気」「東京アメリカ」「夢!サイケデリック!」「東京アメリカ(再演)」などなど何度も足を運んでますね。
初めて「美少女Hの人気」を観た時は何が何やらようわからんかったような思い出があるんですが、最近になってあの作品やあの作品を思い出して考えると、ずっとやりたい事は変わらないんじゃないかなって思いが出てきました。
劇団HPの劇団紹介には
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現実と物語の境界をみつめ、その行き来と、そのあり方そのものを問い直す批評性の強い作風が特徴。題材は、夢と現実、劇世界と劇中劇、テレビゲーム(あるいは仮想世界)と現実世界、愛と憎しみ、など対極にあるものをユーモラスに扱う。近年はプロジェクター投影の光や文字・記号と俳優を組み合わせた演出で新たな表現を追求している。
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とあります。
この冒頭の「境界」ってワードがとても重要で「対極にあるものをユーモラスに扱う」事によって色々な境界線がグニャグニャにされたりするんです。観てて。
例えば、前述の「東京アメリカ」という範宙の傑作があるんですけど、物語は基本的に稽古場で進んでいって(ありゃw時をかける稽古場と一緒だww)お芝居を作ってる奴らの話なんですね。
劇中劇のシーンとか演劇の稽古場のあるあるなんかが混ぜられてて序盤はふにゃふにゃ笑いながら観てられるんですけど、後半に進むにつれそれが現実なのか劇なのか、役がやっているのか役者がやっているのか、さらにどこまでが客でどこまでが役者なのか小屋なのか外なのか始まりなのか終わりなのかそういったあらゆる境界線がグニャグニャにされるんですよ。
(面白いのが、チケットがお面になっていて、お客さんがそれを被る事によって開場中の隣の人が客なのか役者なのか分からなくなるという。さらに本当の役者もそこら辺をウロウロ喋りながら存在しているのでもうなにがなんだか。)
んで今作。
※注! ここからはまだ上演中の作品について触れているので前情報一切入れたくない方は自己責任でお読みください。
まず舞台全体。
プロジェクターを使って舞台面に色々な情報、色であったり背景、はたまた活字やセリフなどを投影しながら物語は進んでいく。
いわゆるプロジェクションマッピング的な技法を使った演劇なんですが、これがただ手法の斬新さだけで終わらないのは前述した通り、この劇団の作風や、ずっとやってきた、積み重ねてきた事の先にあるからなんだと思います。
境界、それこそ役者であったりその影であったり舞台美術であったりセリフであったり音や映像であったり、そんな色々なものの境界線をグニャグニャに溶かして混ざり合いながらお話は進行していきます。
そして中身の話。
先ほどの「境界線」というワードを頭に入れながら観ると。
世界の終わり、終末を描いた話で「生と死」が浮かび上がります。
そしてもう一つ「認識」についても意識して観ました。
この作品の登場人物達、アパートの住人達はこの終末の始まりに避難所にて全員顔をそろえます。
一階に住む男は、隣に女性が住んでいたという事を「認識」します。
例えばなんですけど、この瞬間、男の中では「隣の女を認識する=隣の女がうまれる」とも考えられないでしょうか?
認識していない→生きている事が分からない→死んでいても同じ
だと考えれば
認識した→生きている事が分かる→うまれた
まぁかなり強引ですけど(笑)
これを突き詰めていくと自分の知らないとこで起こった死なんて知ったこっちゃねーよとなって、
それこそ、うまれてすらいないからしんでもいない、ともなりますよね。
何をもって生とするのか、それが主観によって変わってしまっている。
そうなってくると「生と死」の境界線についてもまたグニャグニャと混ざり始めます。
ちょっとシュレディンガーの猫を思い出しました(笑)
同じように「認識」と「境界線」のメタファーになるようなシーンやモチーフが沢山登場します。
気が付くと電柱のボルトが伸びていたり、自動販売機にふりかけが売っていたり。
老人が風船のように浮かんでいたり、地球は終わりに向かっていたり。
知らなかった訳ではないのに言われてみて「あ、そういえば」とか「え?そうだったっけ?」とか、登場人物達の認識も曖昧であったりします。
また鬼退治をすると豪語する男が狂っているのか、はたまたそれ以外の全員が狂っているのか。
この男が鬼と称した戦車に殺されたのと、本当の鬼に殺されたのではこの男の中で何が違うのか。
色々なシーンがどんどん面白く見えてきます。
そしてある男が「子供が欲しい」と決意したのが8月15日。
これ以上は皆さんの頭で考えてください。
とにかくこういったある一つの視点を持ちながら観るとググっと面白くなるのがたまらなく好きです。
でもでも。
恐らくなんですけど、今ここでこうやって書いてしまうことも野暮なんですが。
見方がどうであるとか、どんな感想をもたれるとか、そういったものが固まってしまうのも作者の思いには反するのかなと。
色んな事が曖昧でグニャグニャにしてあるのに、一つの視点を持って観るのとかそれこそ凝り固まった見方なのかなーとかまで考えちゃいましたよね(笑)
まぁここで自分が書いた評は本当に一つの見方で。
思いっ切り見当違いなレビューかもしれないし(それはそれで悲しいけど笑)
見る人それぞれがそれぞれで全く違う感想を持ったりできるのが範宙遊泳のいいところで、見どころだとも思ってますからね。
口うるせー奴はこのへんで黙っておきますわw
本公演は4月27日(日)まで池袋東京芸術劇場シアターイーストにて。
その他のレビューに関してはまた気が向いたら書きます。
関連リンク
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範宙遊泳HP
http://www.hanchuyuei.com/
東京芸術劇場
https://www.geigeki.jp/
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追記:
2.5次元と言われているこの手法やスタイルが先にあったのではなく
先にやりたい事、表現したい事が明確にあって
色々な道を通って進化して
その延長線上で手に入れた手法であると思ってます。
だから、いいんじゃないか、って僕は思います!
すごく、いいお芝居でした。